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「剛よく柔を断つ」

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増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読みました。
 
この本はまだ読みかけなので、全体の感想はまた別の機会に書くとして、読みかけながら、面白い部分が既にいくつもあったので、紹介したいと思います。
 
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まずこの木村政彦ですが、史上最強の柔道家と言われた人です。
 
この表紙の写真は18歳の時のもの!
 
とても10代とは思えない体です。
 
しかも戦前です!
 
木村の前に木村なし、圧倒的強さを誇り、戦前・戦後を挟んで15年間不敗の伝説の柔道家。
 
最盛期でも170センチ 85キロ足らずで。けして体格に恵まれていないながらもそのパワーは相当のものだったようです。
 
また当時の柔道の競技人口は詳しい資料はないもののかなりの数だったことからしても、現代の日本柔道よりもハイレベルと言われていたことからも、彼の実力がどれほどのものだったか分かります。
(例えば当時の中大柔道部は柔道推薦入学の選手だけで160人いたらしい)
 
その木村の信条は「努力三倍」
 
内容は乱取り稽古だけで一日9時間(警視庁で3時間、拓大で3時間、講道館で3時間)
 
さらにウエイトトレ、打ち込みで5時間、午前2時就寝、そこから布団の中で
イメージトエーニングを2時間。
 
睡眠に入るのは午前4時、一日の睡眠時間は3時間といいます。
 
 
そして、もう一つ注目すべき点
「だます柔道を排す」
 
「柔よく剛を制す」とよく言われますが、木村はこれでは本当の王者にはなれないと悟ります。
 
相手の力を利用して投げる様な小手先の騙す柔道は一度相手に見切られたらもう通用しない。
 
 
いつでも自分の好きな時に力で相手をねじ伏せる事ができなければ、真の強さではない!
 
まさに「剛よく柔を断つ」
 
そして、その実現の為に木村が選んだ方法がウエイトトレーニング!
 
戦前の話である。
 
昭和13年日本のウエイトトレーニングの祖とも呼ばれる若木竹丸氏「怪力法並びに肉体改造体力改善法」という本を出版します。
 
木村政彦はその若木竹丸に師事していたとも言われます。
 
戦前にベンチプレス250キロを挙げたと言われる木村政彦
 
「剛よく柔を断つ」
 
ストレングスコーチとしてはなんだか嬉しくなってしまうお話でした(#^.^#)
 
もともと中国の兵法からの言葉とされる「柔よく剛を制す」ですが、後の柔道連盟が、柔という字が柔道の柔と同じ字というだけで引用してしまったのは間違っていたかもしれませんね。
 
 

高専柔道の浪漫!

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再び「木村政彦はなぜ・・・」の記事です。
 
柔道黎明期に日本に柔道を普及し、当時最強と言われたのは嘉納治五郎の講道館と言われています。
 
古武術としての柔術に「道」と名づけ人間形成、育成を目的とし、スポーツとして昇華させたのが日本体育の父と言われ、初代大日本体育協会会長 嘉納治五郎が起こした「講道館」
 
一般的にはそう思われていますし、MACもそう思っていました。
 
しかし、この本を読んで、それらの逸話は講道館が作り上げたもので、実際はかなり違っていた事が分かります。
 
その内容とは
 
①柔道は講道館以前から存在していた。
 
②嘉納治五郎は当初は体育としての柔道ではなく、実戦で有効な武術を目指していた。
 
③嘉納治五郎は東京五輪誘致に精力的に活動したが、柔道を五輪を種目にする気はなかった。
 
④柔道黎明期において講道館は全国を統括する組織ではなく、最強でもなかった。
 
ざっとこんな感じです。
 
柔道黎明期において講道館が勢力を誇示していたのは東日本のみで、名古屋より西は京都を本部とする「武徳会」が支配していた。
 
この武徳会があった為に講道館は名古屋より西に進めなかったわけです。
 
しかし、この黎明期において最強と言われたのはこの2団体ではなく、第三の団体でした。
 
それが帝大柔道連盟が主催する高専柔道でした。
 
高専とはこの当時で高等学校(いまでいう大学)
 
そのルーツは明治31年から始まった一高現東大)と二高(現京大)の定期戦に始まります。
 
これらナンバースクールと呼ばれた一流高等学校を中心にネームスクール(専門学校を含む有名校)などブランドスクールに広がっていきます。
 
これらの学校は厳しい入学選抜試験があった為に中学の一流選手を入学させる事が難しく、一流選手を擁する東京大学柔道連盟(講道館支配下)に対抗する為に工夫に工夫を重ねていきます。
 
その結果、辿りついたのが高専柔道といわれる寝技中心の柔道でした。
 
見かけは地味な寝技にこだわった理由は
 
①立ち技にはリスクがあり、どんな強い選手でもその日の調子により試合を落とす可能性がある。
立ち技では、どうしてもフィジカルに優れ、才能に恵まれた一流選手には対抗できない。
 
②寝技にはまぐれがない。練習量ですべてが決まり、フィジカルに劣るナンバースクールの選手でも柔道有名校の選手や職業選手に勝てる。
 
これらが理由でした。
 
その当時の高専柔道のルールは
 
①勝敗は一本勝ちのみで決まる。
②立ち技から寝技への引き込みが自由
③場外なし
④今の柔道の様な寝技が膠着状態になった時の「待て」がなく、無制限に寝技を継続させた。
 
これらのルールの為にほとんどの勝敗は絞め技、関節技、固め技で決まる様になります。
 
まあ~今時だとテレビ映えしないかもしれませんが、格闘技の玄人好みの実戦形式だったと言えます。
 
そして各校の選手達は寝技にとてつもない練習時間を充てます。
 
練習量がすべてを決する寝技が中心なわけなので、当然そうなります。
そして、理系のエリート学生を中心に絞め技、関節技を研究開発していきます。(日本人の一番得意な分野かもしれません)
 
また、団体戦を中心としていたせいか、絞められてもタップをする選手はおらず、大抵の場合は「落ちる」まで試合は続行されていたようです。
 
その為、練習時もタップは許されず、壮絶な稽古が繰り広げられていたようです。
 
こういったタップをしない習慣はブラジリアン柔術にも受け継がれており、グレイシー一族が落とされまで、腕を折られるまでタップしないのも高専柔道の流れと言われています。
 
そして、この高専柔道は講道館、武徳館の柔道よりも人気が高まり、戦後GHQによる学制改革により旧制高等学校が消滅するまで全盛期を迎えます。
 
そして、その実力は講道館をも凌駕していきます。
 
例えばこの当時最強だった六高は警視庁柔道部、早大柔道部をも打ち負かしてしまいます。
 
これに危機感を抱いたのは嘉納治五郎でした。
 
そこで加納は圧力を掛けます。
 
大正13年、高専ルールに介入し「立ち技から寝技への引き込み禁止令」を出します。
 
しかし、帝大柔道連盟はこれに従わず、講道館の発行する段位を返上してまで高専ルールを守り抜きます。
 
そして戦争が始まる昭和16年まで高専柔道全盛期が続くわけです。
 
当時の高専柔道の人気は高く、また選手がエリートであった為、戦後は高専柔道出身者が政財界でかなり活躍しています。
 
例えば今もブラジリアン柔術などでメジャーな技である前三角締めを考案したのは元日経連専務理事で六高OBの早川勝氏
 
当時、高専柔道最強といわれいた野上智賀雄氏は後に京大に進み、東レ柔道部を創設、実業団柔道の礎を築きます。
 
高専柔道は学制改革後は北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七帝柔道に引き継がれていきます。
 
高専柔道の浪漫は井上靖の「北の海」でも詳しく魅力的に描かれています。
 
「北の海」は四高柔道部の様子を魅力的に描いた作品で、MACが柔道を始めたきっかけを作ってくれた作品でもあります。
 
戦前のエリート学生達が青春の知恵と汗を流し、講道館をも凌駕し、嘉納治五郎をも慌てさせた高専柔道!
 
なんだかとっても浪漫を感じてしまうのはMACだけでしょうか?
 
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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」
 
この作品はとても魅力的な格闘技ドキュメンタリーに仕上がっています。
 
 
 
 

セット間インタバルを論じる!

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これまで、いろいろな書籍、月刊誌で筋肥大トレーニングの手法が紹介されている。

Macもここ30年でかなりの記事、文献に目を通してきました。

月刊誌ではアイアンマン、マッスル&フィットネス、月刊ボディービルんディングなどがその世界を牽引してきていました。
 
しかしながら、これらの月刊誌は学術的に納得がいく根拠に乏しい理論も多いです。(根拠となる部分の説明が不充分)

その他の学術団体が発行する専門誌はどちらかと言うと競技パフォーマンスの向上、メディカルコンディショニングに関する文献が主となっている為、筋肥大トレーニングについての方法論についての画期的な文献はあまり見かけませんでした。

そんな中、NSCAが発行するストレングス&コンディショニングが今月号で筋肥大の特集を組んできました。

そのアプローチの仕方が興味深かったので紹介したいと思います。

通常だとトレーニングの内容自体について、あれこれと書かれているのが一般的なんですが、今回はセット間インタバルについて論じています。

通常なら、今までの常識として、インタバル中は消極的休養というのが常識的で、ほとんどのアスリートやボディービルダーはスーパーセットや伝統的サーキットトレなど代謝系トレーニングを除き、この方法で実施しています。
 
つまりセット間インタバル中はプレートの付け替えの様な準備動作以外は極力安静にして、次のセットで充分に筋力を発揮できる様に筋をフレッシュな状態に回復させる様に努めるというのが常識的でした。
 
そんな中で、今回のS&Cジャーナルでは二つのアプローチの方法を紹介し、その可能性について学術的に論じています。
 
①インタバル中に低負荷の有酸素トレーニング(最大心拍数の50~60%程度)を取り入れる事により筋中の疲労物質・乳酸を除去する事で、次のセットで高い筋力が発揮でき、筋肥大効果が上がる。
 
②インタバル中にストレッチをする事で血流を抑え乳酸を溜め込み、内分泌系を適応させ、筋肥大効果を上げる。
(以前は一般的な方法ではあったが、静的ストレッチが発揮筋力を抑制するという理論が出てきてからは支持されなくなってきた)
 
この二つの手法は内容的には相反する内容とも取れます。
しかし、論文を書いている人は同人物。
 
①の方法が最大筋力・筋パワーを目的とし、②の方法が筋肥大目的というならまだ分かるのですが。
 
実際、筋力トレーニングと筋肥大トレーニングの方法自体が絶対的なものではない世界でもあるのですが・・・
 
二つの文献とも理路整然と書かれているのですが、これまでに発表され一応の支持を得ている内容と照らし合わせると、いくつかの矛盾点があり、著者もこの方法が絶対的に効果的とは結論づけておらず、今後の研究・臨床が待たれるとしています。
 
確かに、総論としてこの手法が効果的だとしても、強度や時間に関して最適な方法を管理するのは困難かと思います。
 
しかしながらS&Cジャーナルの今回の記事は今まであまり論じられる事が少なかったセット間インタバルについてメスをいれようといている事自体に大変興味を持ちました。
 
特に①の文献は興味深いです。
 
ピリオダイゼーションの理論の中で使われる積極的休養の理論。
 
これをセット間インタバルにも流用しようというアイデアは面白い考え方だと思えました。
 
但し、この理論も高強度無酸素トレーニングと有酸素トレーニングの併用が高強度無酸素トレーニング単独の場合よりも、筋肥大・筋力向上効果が減少するという過去の研究・臨床結果と相反するものがあります。
また、乳酸を溜め込む事でトレーニング効果を上げようとする加圧法・スローレップ法とも相容れない部分が出てきてしまいます。
 
溜め込む方法と次のセットに向けてリフレッシュさせる方法。
 
ある意味紙一重になってしまいますね。
 
結局は実施される有酸素の強度に左右されるかとは思いますが、超低強度なら試してみる価値はありそうです。
頭を柔軟にどんな方法でも試してみる事が大切です。

牛島辰熊

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再び「木村政彦はなぜ・・・」から
 
前半を読み終わって、一番のインパクトが強かったのは、木村政彦本人ではなく、むしろその師匠である、鬼の牛島こと牛島辰熊!
 
とにかく真っ直ぐな人物です。
 
師弟関係でありながら、柔道以外はまるでちゃらんぽらんな木村とは対照的に頑固で真っ直ぐで曲がった事は許せない。
 
木村よりも師匠であるこの牛島にすっかり魅了されてしまいました。
 
恥ずかしながら、MACはこれまでこの牛島辰熊についてほとんど知りませんでした。
 
というのも柔道関係の書籍はこれまでほとんど講道館主体で書かれてきたものを読んでいたせいでしょう。
 
講道舘からはむしろ異端児ではみ出しものであった牛島の事はあまり書かれていないからです。
 
しかしながら、この本を読むと嘉納治五郎はじめ講道館の伝説の柔道家など、牛島の前ではすっかり霞んでしまいます。
 
彼の逸話をあれこれ書くと長くなってしまうので以下に貼りつけときます。
 
柔道家としては史上最強木村政彦を作り上げた男として有名ですが、指導者としてだけではなく、昭和初期の最強の柔道家でした。
 
そしてさらに彼は思想家でもあり、戦時中、戦況悪化を国民に隠し、一億玉砕に突き進む東条英機に反発し、なんと東条英機暗殺計画まで画策します。
 
そしてこの計画を確実に成功させる為に彼が選択したのは、なんと教え子の木村政彦に東条暗殺を実行させようとします。
 
その理由は、木村なら確実に一発で仕留める事ができるという理由からでした。
 
史上最強の柔道家 木村政彦を育て、あの大山倍達からも師と仰がれた男 牛島辰熊!
 
その実力は!?
 
40を過ぎても全盛期の木村より寝技では上だった。
 
さらに50を過ぎても東京オリンピック重量級日本代表 神永を寝技稽古で子供扱い!
 
そして、戦後あの国際柔道連盟(プロ柔道)を立ち上げるのです。
 
その生き方、柔道家としての実力、指導者としての器!
 
まさに男の中の男!
 
すべてにおいて、MACはこの牛島辰熊に魅了されてしまったのであります。
 
柔道を志す若者達に是非知っておいて欲しいビックネームです。
 
加納治五郎よりも三船十段なんかよりも、この人こそが真の柔道家であり、黎明期の日本柔道を支えた人物であると思います。
 
名前だけでもインパクトのある、牛に辰に熊!
 
名前の中に三つも強い動物が入っています(#^.^#)
 
そしてさらにインパクトが強いのはその風貌!
 
昭和の志士 牛島辰熊の顔です。
 
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まさに鬼の牛島!
 
堀が深くて、ハーフぽくて、見ようによってはかなりハンサムです。
 
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第92回ボート全日本選手権大会!

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9月13日午前2時起床

いつもの様に愛車オルベアを愛車miniコンバーチブルに無理矢理詰め込み、2:30岡崎を出発!

戸田オリンピックコース埼玉県艇庫に7時着!

まだ、誰も来てない。1番乗りだ!

まだ人もまばらなコースを眺める。

ゴール方向から赤いロースーの人影現る。

ガッシリした肩幅を左右に揺らし、それとはアンバランスなキュートな笑顔を振りまいて!

山領だ!

勝負の準決勝に向けて、やや緊張気味だが、相変わらず飄々としている。

こんな感じで第92回ボート全日本選手権の準決勝、決勝の二日間がスタートした。

山領のシングルスカル準決勝。

そのレースは稀に見るデッドヒートだった。

オルベアで伴走していて、身体が震える様なレースだった。

スタートは悪くなかったものの、徐々に離され、1500m地点ではトップの青山に6.5秒差。

予選でも青山と当たり、6秒差で2位に甘んじ、敗復に回っている。

この準決勝でもやはりこの差はなんともならないのか…

しかし、ここから山領が執念を見せる。
 
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山領の筋質は無酸素性パワーに優れた速筋type2bでもなければ、有酸素パワーに優れたtype1でもない。

有酸素能力を兼ね備えたスーパー速筋type2aだ!

周りの選手が一番苦しい時こそ、このtype2aがものを言う。

1750m みるみる青山との差が詰まって行く!

伴走する我々デンソースタッフのペダルに思わず力が加わる。

しかし、1.5秒届かず…あと100mゴールが遠ければ・・・

最後は1レーンから大垣共立 今井が僅かに青山を刺し、山領は3位!

決勝、順位決定進出を逃す…

しかし、ゴール後、mimo監督が握手を求めてくる。

Macも快く応じる。

この所レース展開がやや消極的と言われた山領が本気を見せた。

そして、この半年、山領に与えたトレーニング成果を出しきったら、ここまでやれるんだ!ということを山領自身が分かってくれただろう。

そんな、握手だったのかもしれない。

チームの先陣がこういうレースをしてくれると、次に続くクルーに勢いがつく!

そして、山領のそれは後に続くダブルの2人を勢いづけるのに充分な熱いレースだった。

ダブルのメンバーは入部二年目の若手  ポテンシャル入部の落合と日本代表の末廣!

まだボートを漕ぎ始めて一年足らずの落合を入部8年目の日本代表 末廣が引っ張って、予選を突破!

この準決勝に駒を進めてきた。

スタートからフィジカルの強さを見せつける様に一気に飛び出す。

500mで既に2位以下に一艇身以上 3秒引き離す。

頼もしい2人だ!
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落合の魅力はその恵まれたフィットネスの強さだけではない。

前向きさ、ひたむきさ、明るさ、そして、日々のトレーニングから全てを出し尽くすメンタルの強さ。

およそアスリートに求められるアイテムをことごとく持っている選手だ。

足らないのはまだ発展途上の未熟なオールテクニックとレース勘!

この落合の不足する部分を今や日本女子ボート界の頂点に立つ末廣がゴールへと引っ張り込む!

ところがここで、思わぬ展開に…

軽い風邪と緊張から来る呼吸器系のトラブルが落合を襲う。

1000m付近から徐々に大垣共立銀行が追い上げる。

1500m地点ではその差は一艇身を割り始める。

さらに大垣が伸びる。

ここで末廣が勝負をかける!

岸まで聞こえる程の末廣の気合い、魂の叫びが聞こえる!

再び、大垣を離す。

この準決勝もまた、壮絶な、まさにレガッタだった。

二人の勝利への執念がデンソーダブルを決勝に導く!
 
レース後、macと共にクールダウンウォークをしていた末廣はレース展開を熱く語る。
 
「どんなに苦しくても、あそこで(1750m)でもう一度仕掛けなきゃやられるんです!」
 
写真から見るレース中の末廣の顔は苦しい勝負処で勝負をむしろ勝負を楽しんでいる様にみえた。
 
末廣は完全に勝負師になっていた、この2年の厳しい代表選考が末廣を勝負師に育てあげていた。


一夜明けた翌日の決勝の舞台。

この準決勝の勢いがあれば、充分に優勝の可能性はある。

特にここまで見せてきたトップスピードの速さは他のチームを凌駕するに充分なものだ。

前半でエネルギーロスさえなければ、逃げ切れる。

表彰台のてっぺんに立てる予感は充分にあった。

予定通りのロケットスタートを見せたデンソーダブルは500でトップに立つ!

 
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しかし、思ったより離せない。

2位の早稲田とは1、5秒

実は前半の1000までにレーンの不利もあり、幾つかの細かいトラブルが発生、エネルギーをロスしていた。

1000を過ぎた辺りからこのエネルギーロスが徐々に重くのしかかり他の3チームに遅れだす。

4着でゴール…

負けた…敗北感が全身を襲う。

心に鉛色の雲が覆う。

しかし、その直後、敗れたデンソー艇上でバウ末廣がストローク落合にハイタッチを求める。

出し切ったのだ!

彼女達はすべてを出し切ったのだ!
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末廣には落合が全部出し切って、自分についてきた事が伝わったのだろう。
 
その言葉にはならない充実感と二人の一体感が自然とそうさせたのだろう。

この2人を見て、Macの心にあった鉛色の雲の間から陽がさした。

出し切って勝てなかったのなら、もっと多くのものを彼女らに与えよう。

そう誓うのに充分な美しいシーンだった。

結果としては表彰台を逃し、寂しい大会となってしまったかに見えるが、この2日間のデッドヒートは多くの収穫と心の栄養をもたらしてくれた。

全日本により一時的にホームチームに合流した末廣は一夜明けて、再びチームを離れ、日本代表に合流、アジア大会に旅立って行きました。
 
後輩 落合に大きなプレゼントを残して!

デンソーチームはこの大会で多くのものを得ました、

2010年から2012年の黄金期から、今、谷間にいますが、この期間は次なる黄金期への大きな充電ができたと思います


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第17回アジア競技大会!

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アジア大会が昨日全競技終了しました。
 
 
さて注目のボートは
   LM2X   金メダル
   LW2x 銀メダル
   男子エイト 銀メダル
 
出場全種目でのメダル獲得です!
 
デンソーボート部からは末廣選手が日本代表として女子唯一の参加種目
LW2Xに参戦しました。
 
決勝は凄まじいデッドヒートの末にタイを0.07秒かわしての銀メダル!
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ラストの500はラップタイムからみても壮絶だったようです。
 
全日本でも見せた末廣選手の勝負強さの真骨頂ですね!
 
帰国後、デンソー艇庫でメダルを見せて貰いました。
 
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MACも掛けさせてもらいました。
 
う~ん!感激です(#^.^#)
 
18歳でデンソー入りしたのがついこの間の様な気がしますが、本人にとっては長かったのかな!(MACの歳になると8年はあっという間ですが(~_~;)
 
8年もの間、彼女の試練も喜びも共に味わってきた選手ですので、感激もひとしおです。
 
彼女の才能はその長いトルクアームから出されるパワーである事は間違いないですが、ここまでの除脂肪体重・筋パワーを獲得するには多くの時間を掛けました。
 
むしろ彼女の才能はその地道な努力を8年もの間、ずっとストイックに継続できた事なのではないでしょうか!
 
ボートに対する想いの強さが彼女の才能そのものの様な気がします。
 
この8年は彼女にとって大きな財産となると思います。
 
なぜなら、8年かけて築き上げたものは彼女の体にしっかりと定着しているからです。
 
短期間で獲得できたものは、失うのも早いからです。
 
同じ到達点であっても短期で獲得できたものより、時間を掛けて獲得したもの方が価値が高い事は、おそらく本人が一番よく感じているのではないでしょうか!
 
苦労したからこそ、その価値は高いのです。
 
国際大会でのメダルは一つの区切りですね。
 
もちろん、ここから先が我々が求めているものなのですが(#^.^#)
 
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         おめでとう!
 
 
 
 

久々に近況報告!

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マッスルアートクラブです。
久々の投稿(2年半?・・・)になります。
皆さんお元気でしたでしょうか?
パソコンの不調を機にブログを書く習慣がすっかり途絶えてしまい。
今日まで至ってしまいました。
トレーニングもそうですが、一旦習慣が途切れると、復帰するのになかなか気持ちが奮い立たないものです・・・
しかしながら、ブログを書く習慣が途切れただけで、相変わらずMACは元気ですのでご心配なく、ほらこの通り!
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こんな感じで毛根以外は(;^_^今日も元気に頑張ってます。

さて、冬場のオフシーズンに入り、トレーニング指導の方もせわしくなっています。

最近の主な活動状況です。
12月18日 中部学生ボート連盟トレーニング講習会in金沢大学
  金沢大学ボート部、岐阜大学ボート部合同で実施しました。
北陸での開催は初めてで、とても楽しみでした。
両大学ともボートに対する意識はかなり高く、金沢市内の観光はほとんどした事がないと語る県外出身学生もいてボート一色の学生生活を送っているようでした。
ちょっと勿体ないな~と思う反面、これはこれでとても好感が持てます。
そういえばmacも学生時代は似た様なものでしたが・・・あとであの時、もっといろいろ見ておけばと後悔するんですが(笑)

ところで金沢大学といえば、macの好きな作家井上靖の出身大学で、あの名作「北の海」の舞台である旧制第四高等学校の前身であります。

この北の海ですが、いまだに柔道家の間でバイブル的小説になっているらしいです。
内容は以前、このブログの中で書いた高専柔道のお話です。

学生たちにこの事を聞いてみると意外にも北の海どころか井上靖が四校に在籍していた事も知らなかったようです。
時の流れでしょうか・・・

さて、ストレングス指導の方ですが、学生達の講義に対する眼差しの熱い事、熱い事!

こちらも乗りに乗って3時間の予定の講義は終わってみれば3時間40分にまで延長!
帰りのしらさぎ14号にはなんとか間に合いましたが!

講義前に学生達に話した言葉
「今現在、ストレングスに対するモチベーションが高い人も低い人もいると思いますが、今日の講習会が終わった後は全員がストレングス大好きに人間になっている事をお約束します」

その通りになってくれたでしょうか?(;^_^A
またモチベーションが落ちてきたら、是非ともまた呼んで下さいね!
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そして翌週の12月24日クリスマスイブはいつもの庄内川で名古屋大学、名工大、南山大学、愛教大へストレングス指導でした。

こちらは春に指導した新人達に実際にトレーニングして貰い細かい点のフォームチェックを行いました。

年が明け、1月22日は愛知県ボート連盟主催の高校生向けストレングス講習会!

愛知県の高校ボート部の生徒全員に集まって頂きました。
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この年頃の攻略はなかなか座学では難しいので、実技中心に、これまた2時間の予定の所、終わってみたら2時間半・・・

中々短い時間で沢山の人間に伝えていくのは難しいです。
昨年もそうでしたが、高校生からの質問に回答するコーナーでは高校生の質問が大学生達とは違って素朴で面白い!
例えば「プロテインを美味しく飲む方法を教えてくださいとか」(笑)
次回も楽しみしてますね!

こうやってより多くの人にストレングストレーニングの有効性を説いていけるのは本当に有難い機会です。

これからもこういった活動をどんどん展開できたら良いな~と感じた次第です。

以上、2年半ぶりの投稿でした。

今後は以前の様に頻繁に更新できないかもしれませんが、できる範囲で無理なく更新していきたいと思います。

宜しくお願いします。


20周年に向けてお色直し!

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岡崎市のトレーニングジム マッスルアートクラブです。

マッスルアートクラブもいつの間にやら、本年で20周年を迎えます。

そんなわけで、外壁をお色直する事にしました。

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この建屋も実は築40年経ち、いまだ一回も塗り直していなかったので、これ以上の放置はさすがにマズイと思い立ち、有り金叩いてみました(・・;)

塗装は足場の代金が馬鹿にならなくて、結構掛かるんですよね!
相撲関係の知人に頼んで、なんとかお値打ちに仕上げて貰いました。

問題の色について、候補はネイビー、黒など渋めの色を考えましたが、建物が鉄筋なんで、この系統の色を乗せると冷たい感じで、ただでさえイカツイイメージのジムが余計に敷居が高くなっては困るので、試行錯誤の上、結局、明るめの色にしてみました。

ベージュにうっすらとピンクが入った様な感じの色です。
新入会員や女性会員が少しでも取っつきやすくする為にも、これくらいの色がいいのではと(^^)
なんせ、建物の中には2トンを超える鉄の塊が鎮座ましてるわけなので(・・;)
少しでも明るいイメージにしようというMACの想いが滲んでいます。

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これから、余裕があれば20年使って、かなり傷んできたフロアーについても検討中です。

女性会員のモチベーションが高い!

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ここ1年は男性会員ばかりのマッスルアートクラブでしたが、年が変わって2名の女性会員が入会!

監獄の様な(^◇^;)ジムの雰囲気が少し明るくなったような気がします。

二人ともトライアスラーです。
世界選手権出場経験もある選手が1名とスポーツ栄養学の研究者が1名!

二人ともかなりモチベーションが高いです。

実はこの二人、Macがストレングスを担当しているデンソーボート部の選手達がフィットネス強化の為に参加しているトライアスロンスクールのトレーニングで彼女らに刺激を受けたようなのです。

ストレングストレーニングを経験していない女性から見ればデンソーボート部の選手達の筋肉や並外れた筋力は相当刺激が強かったみたいで、ストレングストレーニングの必要性を痛感したという事でした。

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ひと昔前なら、女性が筋肉をつける事に抵抗を持つのが一般的でした。
それは一般女性だけでなくアスリートでさえ、競技能力が上がると分かっていても、筋肉隆々、ゴリゴリマッチョという言葉と見た目に抵抗を示す選手もいました。

NSCAの記事でも以前アメリカの女性アスリートの筋肉に対する偏見をどう取り除き理解を得るかについての記事があったくらいです。
アメリカでさえこんな具合ですから、日本ならなおさらだと思います。

そういった世の女性達の筋肉に対する評価がここ10年でかなり変わってきた様に感じます。

マドンナとかアンジェリーナジョリーとかのカッコ良い女性達の台頭が世の女性達の筋肉への評価を変える一因になっているのでしょうか?

Macにとっては、そういった世の流れは指導現場においてとても追風になります。

こういう女性会員は大歓迎です。

美しさというよりもカッコ良さを求める女性をマッスルアートクラブはお待ちしてます!

ドラゴンフラッグができる女子いませんか?

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ドラゴンフラッグといえば知る人ぞ知る究極の腹筋エクササイズですが、MACも今年で56歳・・・いつまでこんな事ができるかどうか分からないので記念に動画にしておきました。

本日のデンソーボート部のトレーニング指導の中でその動画を見たS選手から、「私も出来るようになりたい!」といわれました。

ただMACは未だかつて女子でドラゴンフラッグ
ができる人を見たことがありません。。。
試しにYouTubeで検索してみましたが、見つかりませんでした。

女子でできたら凄いですよね!
がんばれ!デンソーボート部S選手!

もし、女子でできる人を知っている方は是非一報ください(笑)



「剛よく柔を断つ」

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増田俊也「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読みました。
 
この本はまだ読みかけなので、全体の感想はまた別の機会に書くとして、読みかけながら、面白い部分が既にいくつもあったので、紹介したいと思います。
 
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まずこの木村政彦ですが、史上最強の柔道家と言われた人です。
 
この表紙の写真は18歳の時のもの!
 
とても10代とは思えない体です。
 
しかも戦前です!
 
木村の前に木村なし、圧倒的強さを誇り、戦前・戦後を挟んで15年間不敗の伝説の柔道家。
 
最盛期でも170センチ 85キロ足らずで。けして体格に恵まれていないながらもそのパワーは相当のものだったようです。
 
また当時の柔道の競技人口は詳しい資料はないもののかなりの数だったことからしても、現代の日本柔道よりもハイレベルと言われていたことからも、彼の実力がどれほどのものだったか分かります。
(例えば当時の中大柔道部は柔道推薦入学の選手だけで160人いたらしい)
 
その木村の信条は「努力三倍」
 
内容は乱取り稽古だけで一日9時間(警視庁で3時間、拓大で3時間、講道館で3時間)
 
さらにウエイトトレ、打ち込みで5時間、午前2時就寝、そこから布団の中で
イメージトエーニングを2時間。
 
睡眠に入るのは午前4時、一日の睡眠時間は3時間といいます。
 
 
そして、もう一つ注目すべき点
「だます柔道を排す」
 
「柔よく剛を制す」とよく言われますが、木村はこれでは本当の王者にはなれないと悟ります。
 
相手の力を利用して投げる様な小手先の騙す柔道は一度相手に見切られたらもう通用しない。
 
 
いつでも自分の好きな時に力で相手をねじ伏せる事ができなければ、真の強さではない!
 
まさに「剛よく柔を断つ」
 
そして、その実現の為に木村が選んだ方法がウエイトトレーニング!
 
戦前の話である。
 
昭和13年日本のウエイトトレーニングの祖とも呼ばれる若木竹丸氏「怪力法並びに肉体改造体力改善法」という本を出版します。
 
木村政彦はその若木竹丸に師事していたとも言われます。
 
戦前にベンチプレス250キロを挙げたと言われる木村政彦
 
「剛よく柔を断つ」
 
ストレングスコーチとしてはなんだか嬉しくなってしまうお話でした(#^.^#)
 
もともと中国の兵法からの言葉とされる「柔よく剛を制す」ですが、後の柔道連盟が、柔という字が柔道の柔と同じ字というだけで引用してしまったのは間違っていたかもしれませんね。
 
 

高専柔道の浪漫!

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再び「木村政彦はなぜ・・・」の記事です。
 
柔道黎明期に日本に柔道を普及し、当時最強と言われたのは嘉納治五郎の講道館と言われています。
 
古武術としての柔術に「道」と名づけ人間形成、育成を目的とし、スポーツとして昇華させたのが日本体育の父と言われ、初代大日本体育協会会長 嘉納治五郎が起こした「講道館」
 
一般的にはそう思われていますし、MACもそう思っていました。
 
しかし、この本を読んで、それらの逸話は講道館が作り上げたもので、実際はかなり違っていた事が分かります。
 
その内容とは
 
①柔道は講道館以前から存在していた。
 
②嘉納治五郎は当初は体育としての柔道ではなく、実戦で有効な武術を目指していた。
 
③嘉納治五郎は東京五輪誘致に精力的に活動したが、柔道を五輪を種目にする気はなかった。
 
④柔道黎明期において講道館は全国を統括する組織ではなく、最強でもなかった。
 
ざっとこんな感じです。
 
柔道黎明期において講道館が勢力を誇示していたのは東日本のみで、名古屋より西は京都を本部とする「武徳会」が支配していた。
 
この武徳会があった為に講道館は名古屋より西に進めなかったわけです。
 
しかし、この黎明期において最強と言われたのはこの2団体ではなく、第三の団体でした。
 
それが帝大柔道連盟が主催する高専柔道でした。
 
高専とはこの当時で高等学校(いまでいう大学)
 
そのルーツは明治31年から始まった一高現東大)と二高(現京大)の定期戦に始まります。
 
これらナンバースクールと呼ばれた一流高等学校を中心にネームスクール(専門学校を含む有名校)などブランドスクールに広がっていきます。
 
これらの学校は厳しい入学選抜試験があった為に中学の一流選手を入学させる事が難しく、一流選手を擁する東京大学柔道連盟(講道館支配下)に対抗する為に工夫に工夫を重ねていきます。
 
その結果、辿りついたのが高専柔道といわれる寝技中心の柔道でした。
 
見かけは地味な寝技にこだわった理由は
 
①立ち技にはリスクがあり、どんな強い選手でもその日の調子により試合を落とす可能性がある。
立ち技では、どうしてもフィジカルに優れ、才能に恵まれた一流選手には対抗できない。
 
②寝技にはまぐれがない。練習量ですべてが決まり、フィジカルに劣るナンバースクールの選手でも柔道有名校の選手や職業選手に勝てる。
 
これらが理由でした。
 
その当時の高専柔道のルールは
 
①勝敗は一本勝ちのみで決まる。
②立ち技から寝技への引き込みが自由
③場外なし
④今の柔道の様な寝技が膠着状態になった時の「待て」がなく、無制限に寝技を継続させた。
 
これらのルールの為にほとんどの勝敗は絞め技、関節技、固め技で決まる様になります。
 
まあ~今時だとテレビ映えしないかもしれませんが、格闘技の玄人好みの実戦形式だったと言えます。
 
そして各校の選手達は寝技にとてつもない練習時間を充てます。
 
練習量がすべてを決する寝技が中心なわけなので、当然そうなります。
そして、理系のエリート学生を中心に絞め技、関節技を研究開発していきます。(日本人の一番得意な分野かもしれません)
 
また、団体戦を中心としていたせいか、絞められてもタップをする選手はおらず、大抵の場合は「落ちる」まで試合は続行されていたようです。
 
その為、練習時もタップは許されず、壮絶な稽古が繰り広げられていたようです。
 
こういったタップをしない習慣はブラジリアン柔術にも受け継がれており、グレイシー一族が落とされまで、腕を折られるまでタップしないのも高専柔道の流れと言われています。
 
そして、この高専柔道は講道館、武徳館の柔道よりも人気が高まり、戦後GHQによる学制改革により旧制高等学校が消滅するまで全盛期を迎えます。
 
そして、その実力は講道館をも凌駕していきます。
 
例えばこの当時最強だった六高は警視庁柔道部、早大柔道部をも打ち負かしてしまいます。
 
これに危機感を抱いたのは嘉納治五郎でした。
 
そこで加納は圧力を掛けます。
 
大正13年、高専ルールに介入し「立ち技から寝技への引き込み禁止令」を出します。
 
しかし、帝大柔道連盟はこれに従わず、講道館の発行する段位を返上してまで高専ルールを守り抜きます。
 
そして戦争が始まる昭和16年まで高専柔道全盛期が続くわけです。
 
当時の高専柔道の人気は高く、また選手がエリートであった為、戦後は高専柔道出身者が政財界でかなり活躍しています。
 
例えば今もブラジリアン柔術などでメジャーな技である前三角締めを考案したのは元日経連専務理事で六高OBの早川勝氏
 
当時、高専柔道最強といわれいた野上智賀雄氏は後に京大に進み、東レ柔道部を創設、実業団柔道の礎を築きます。
 
高専柔道は学制改革後は北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七帝柔道に引き継がれていきます。
 
高専柔道の浪漫は井上靖の「北の海」でも詳しく魅力的に描かれています。
 
「北の海」は四高柔道部の様子を魅力的に描いた作品で、MACが柔道を始めたきっかけを作ってくれた作品でもあります。
 
戦前のエリート学生達が青春の知恵と汗を流し、講道館をも凌駕し、嘉納治五郎をも慌てさせた高専柔道!
 
なんだかとっても浪漫を感じてしまうのはMACだけでしょうか?
 
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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」
 
この作品はとても魅力的な格闘技ドキュメンタリーに仕上がっています。
 
 
 
 

セット間インタバルを論じる!

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これまで、いろいろな書籍、月刊誌で筋肥大トレーニングの手法が紹介されている。

Macもここ30年でかなりの記事、文献に目を通してきました。

月刊誌ではアイアンマン、マッスル&フィットネス、月刊ボディービルんディングなどがその世界を牽引してきていました。
 
しかしながら、これらの月刊誌は学術的に納得がいく根拠に乏しい理論も多いです。(根拠となる部分の説明が不充分)

その他の学術団体が発行する専門誌はどちらかと言うと競技パフォーマンスの向上、メディカルコンディショニングに関する文献が主となっている為、筋肥大トレーニングについての方法論についての画期的な文献はあまり見かけませんでした。

そんな中、NSCAが発行するストレングス&コンディショニングが今月号で筋肥大の特集を組んできました。

そのアプローチの仕方が興味深かったので紹介したいと思います。

通常だとトレーニングの内容自体について、あれこれと書かれているのが一般的なんですが、今回はセット間インタバルについて論じています。

通常なら、今までの常識として、インタバル中は消極的休養というのが常識的で、ほとんどのアスリートやボディービルダーはスーパーセットや伝統的サーキットトレなど代謝系トレーニングを除き、この方法で実施しています。
 
つまりセット間インタバル中はプレートの付け替えの様な準備動作以外は極力安静にして、次のセットで充分に筋力を発揮できる様に筋をフレッシュな状態に回復させる様に努めるというのが常識的でした。
 
そんな中で、今回のS&Cジャーナルでは二つのアプローチの方法を紹介し、その可能性について学術的に論じています。
 
①インタバル中に低負荷の有酸素トレーニング(最大心拍数の50~60%程度)を取り入れる事により筋中の疲労物質・乳酸を除去する事で、次のセットで高い筋力が発揮でき、筋肥大効果が上がる。
 
②インタバル中にストレッチをする事で血流を抑え乳酸を溜め込み、内分泌系を適応させ、筋肥大効果を上げる。
(以前は一般的な方法ではあったが、静的ストレッチが発揮筋力を抑制するという理論が出てきてからは支持されなくなってきた)
 
この二つの手法は内容的には相反する内容とも取れます。
しかし、論文を書いている人は同人物。
 
①の方法が最大筋力・筋パワーを目的とし、②の方法が筋肥大目的というならまだ分かるのですが。
 
実際、筋力トレーニングと筋肥大トレーニングの方法自体が絶対的なものではない世界でもあるのですが・・・
 
二つの文献とも理路整然と書かれているのですが、これまでに発表され一応の支持を得ている内容と照らし合わせると、いくつかの矛盾点があり、著者もこの方法が絶対的に効果的とは結論づけておらず、今後の研究・臨床が待たれるとしています。
 
確かに、総論としてこの手法が効果的だとしても、強度や時間に関して最適な方法を管理するのは困難かと思います。
 
しかしながらS&Cジャーナルの今回の記事は今まであまり論じられる事が少なかったセット間インタバルについてメスをいれようといている事自体に大変興味を持ちました。
 
特に①の文献は興味深いです。
 
ピリオダイゼーションの理論の中で使われる積極的休養の理論。
 
これをセット間インタバルにも流用しようというアイデアは面白い考え方だと思えました。
 
但し、この理論も高強度無酸素トレーニングと有酸素トレーニングの併用が高強度無酸素トレーニング単独の場合よりも、筋肥大・筋力向上効果が減少するという過去の研究・臨床結果と相反するものがあります。
また、乳酸を溜め込む事でトレーニング効果を上げようとする加圧法・スローレップ法とも相容れない部分が出てきてしまいます。
 
溜め込む方法と次のセットに向けてリフレッシュさせる方法。
 
ある意味紙一重になってしまいますね。
 
結局は実施される有酸素の強度に左右されるかとは思いますが、超低強度なら試してみる価値はありそうです。
頭を柔軟にどんな方法でも試してみる事が大切です。

牛島辰熊

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再び「木村政彦はなぜ・・・」から
 
前半を読み終わって、一番のインパクトが強かったのは、木村政彦本人ではなく、むしろその師匠である、鬼の牛島こと牛島辰熊!
 
とにかく真っ直ぐな人物です。
 
師弟関係でありながら、柔道以外はまるでちゃらんぽらんな木村とは対照的に頑固で真っ直ぐで曲がった事は許せない。
 
木村よりも師匠であるこの牛島にすっかり魅了されてしまいました。
 
恥ずかしながら、MACはこれまでこの牛島辰熊についてほとんど知りませんでした。
 
というのも柔道関係の書籍はこれまでほとんど講道館主体で書かれてきたものを読んでいたせいでしょう。
 
講道舘からはむしろ異端児ではみ出しものであった牛島の事はあまり書かれていないからです。
 
しかしながら、この本を読むと嘉納治五郎はじめ講道館の伝説の柔道家など、牛島の前ではすっかり霞んでしまいます。
 
彼の逸話をあれこれ書くと長くなってしまうので以下に貼りつけときます。
 
柔道家としては史上最強木村政彦を作り上げた男として有名ですが、指導者としてだけではなく、昭和初期の最強の柔道家でした。
 
そしてさらに彼は思想家でもあり、戦時中、戦況悪化を国民に隠し、一億玉砕に突き進む東条英機に反発し、なんと東条英機暗殺計画まで画策します。
 
そしてこの計画を確実に成功させる為に彼が選択したのは、なんと教え子の木村政彦に東条暗殺を実行させようとします。
 
その理由は、木村なら確実に一発で仕留める事ができるという理由からでした。
 
史上最強の柔道家 木村政彦を育て、あの大山倍達からも師と仰がれた男 牛島辰熊!
 
その実力は!?
 
40を過ぎても全盛期の木村より寝技では上だった。
 
さらに50を過ぎても東京オリンピック重量級日本代表 神永を寝技稽古で子供扱い!
 
そして、戦後あの国際柔道連盟(プロ柔道)を立ち上げるのです。
 
その生き方、柔道家としての実力、指導者としての器!
 
まさに男の中の男!
 
すべてにおいて、MACはこの牛島辰熊に魅了されてしまったのであります。
 
柔道を志す若者達に是非知っておいて欲しいビックネームです。
 
加納治五郎よりも三船十段なんかよりも、この人こそが真の柔道家であり、黎明期の日本柔道を支えた人物であると思います。
 
名前だけでもインパクトのある、牛に辰に熊!
 
名前の中に三つも強い動物が入っています(#^.^#)
 
そしてさらにインパクトが強いのはその風貌!
 
昭和の志士 牛島辰熊の顔です。
 
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まさに鬼の牛島!
 
堀が深くて、ハーフぽくて、見ようによってはかなりハンサムです。
 
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第92回ボート全日本選手権大会!

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9月13日午前2時起床

いつもの様に愛車オルベアを愛車miniコンバーチブルに無理矢理詰め込み、2:30岡崎を出発!

戸田オリンピックコース埼玉県艇庫に7時着!

まだ、誰も来てない。1番乗りだ!

まだ人もまばらなコースを眺める。

ゴール方向から赤いロースーの人影現る。

ガッシリした肩幅を左右に揺らし、それとはアンバランスなキュートな笑顔を振りまいて!

山領だ!

勝負の準決勝に向けて、やや緊張気味だが、相変わらず飄々としている。

こんな感じで第92回ボート全日本選手権の準決勝、決勝の二日間がスタートした。

山領のシングルスカル準決勝。

そのレースは稀に見るデッドヒートだった。

オルベアで伴走していて、身体が震える様なレースだった。

スタートは悪くなかったものの、徐々に離され、1500m地点ではトップの青山に6.5秒差。

予選でも青山と当たり、6秒差で2位に甘んじ、敗復に回っている。

この準決勝でもやはりこの差はなんともならないのか…

しかし、ここから山領が執念を見せる。
 
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山領の筋質は無酸素性パワーに優れた速筋type2bでもなければ、有酸素パワーに優れたtype1でもない。

有酸素能力を兼ね備えたスーパー速筋type2aだ!

周りの選手が一番苦しい時こそ、このtype2aがものを言う。

1750m みるみる青山との差が詰まって行く!

伴走する我々デンソースタッフのペダルに思わず力が加わる。

しかし、1.5秒届かず…あと100mゴールが遠ければ・・・

最後は1レーンから大垣共立 今井が僅かに青山を刺し、山領は3位!

決勝、順位決定進出を逃す…

しかし、ゴール後、mimo監督が握手を求めてくる。

Macも快く応じる。

この所レース展開がやや消極的と言われた山領が本気を見せた。

そして、この半年、山領に与えたトレーニング成果を出しきったら、ここまでやれるんだ!ということを山領自身が分かってくれただろう。

そんな、握手だったのかもしれない。

チームの先陣がこういうレースをしてくれると、次に続くクルーに勢いがつく!

そして、山領のそれは後に続くダブルの2人を勢いづけるのに充分な熱いレースだった。

ダブルのメンバーは入部二年目の若手  ポテンシャル入部の落合と日本代表の末廣!

まだボートを漕ぎ始めて一年足らずの落合を入部8年目の日本代表 末廣が引っ張って、予選を突破!

この準決勝に駒を進めてきた。

スタートからフィジカルの強さを見せつける様に一気に飛び出す。

500mで既に2位以下に一艇身以上 3秒引き離す。

頼もしい2人だ!
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落合の魅力はその恵まれたフィットネスの強さだけではない。

前向きさ、ひたむきさ、明るさ、そして、日々のトレーニングから全てを出し尽くすメンタルの強さ。

およそアスリートに求められるアイテムをことごとく持っている選手だ。

足らないのはまだ発展途上の未熟なオールテクニックとレース勘!

この落合の不足する部分を今や日本女子ボート界の頂点に立つ末廣がゴールへと引っ張り込む!

ところがここで、思わぬ展開に…

軽い風邪と緊張から来る呼吸器系のトラブルが落合を襲う。

1000m付近から徐々に大垣共立銀行が追い上げる。

1500m地点ではその差は一艇身を割り始める。

さらに大垣が伸びる。

ここで末廣が勝負をかける!

岸まで聞こえる程の末廣の気合い、魂の叫びが聞こえる!

再び、大垣を離す。

この準決勝もまた、壮絶な、まさにレガッタだった。

二人の勝利への執念がデンソーダブルを決勝に導く!
 
レース後、macと共にクールダウンウォークをしていた末廣はレース展開を熱く語る。
 
「どんなに苦しくても、あそこで(1750m)でもう一度仕掛けなきゃやられるんです!」
 
写真から見るレース中の末廣の顔は苦しい勝負処で勝負をむしろ勝負を楽しんでいる様にみえた。
 
末廣は完全に勝負師になっていた、この2年の厳しい代表選考が末廣を勝負師に育てあげていた。


一夜明けた翌日の決勝の舞台。

この準決勝の勢いがあれば、充分に優勝の可能性はある。

特にここまで見せてきたトップスピードの速さは他のチームを凌駕するに充分なものだ。

前半でエネルギーロスさえなければ、逃げ切れる。

表彰台のてっぺんに立てる予感は充分にあった。

予定通りのロケットスタートを見せたデンソーダブルは500でトップに立つ!

 
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しかし、思ったより離せない。

2位の早稲田とは1、5秒

実は前半の1000までにレーンの不利もあり、幾つかの細かいトラブルが発生、エネルギーをロスしていた。

1000を過ぎた辺りからこのエネルギーロスが徐々に重くのしかかり他の3チームに遅れだす。

4着でゴール…

負けた…敗北感が全身を襲う。

心に鉛色の雲が覆う。

しかし、その直後、敗れたデンソー艇上でバウ末廣がストローク落合にハイタッチを求める。

出し切ったのだ!

彼女達はすべてを出し切ったのだ!
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末廣には落合が全部出し切って、自分についてきた事が伝わったのだろう。
 
その言葉にはならない充実感と二人の一体感が自然とそうさせたのだろう。

この2人を見て、Macの心にあった鉛色の雲の間から陽がさした。

出し切って勝てなかったのなら、もっと多くのものを彼女らに与えよう。

そう誓うのに充分な美しいシーンだった。

結果としては表彰台を逃し、寂しい大会となってしまったかに見えるが、この2日間のデッドヒートは多くの収穫と心の栄養をもたらしてくれた。

全日本により一時的にホームチームに合流した末廣は一夜明けて、再びチームを離れ、日本代表に合流、アジア大会に旅立って行きました。
 
後輩 落合に大きなプレゼントを残して!

デンソーチームはこの大会で多くのものを得ました、

2010年から2012年の黄金期から、今、谷間にいますが、この期間は次なる黄金期への大きな充電ができたと思います


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第17回アジア競技大会!

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アジア大会が昨日全競技終了しました。
 
 
さて注目のボートは
   LM2X   金メダル
   LW2x 銀メダル
   男子エイト 銀メダル
 
出場全種目でのメダル獲得です!
 
デンソーボート部からは末廣選手が日本代表として女子唯一の参加種目
LW2Xに参戦しました。
 
決勝は凄まじいデッドヒートの末にタイを0.07秒かわしての銀メダル!
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ラストの500はラップタイムからみても壮絶だったようです。
 
全日本でも見せた末廣選手の勝負強さの真骨頂ですね!
 
帰国後、デンソー艇庫でメダルを見せて貰いました。
 
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MACも掛けさせてもらいました。
 
う~ん!感激です(#^.^#)
 
18歳でデンソー入りしたのがついこの間の様な気がしますが、本人にとっては長かったのかな!(MACの歳になると8年はあっという間ですが(~_~;)
 
8年もの間、彼女の試練も喜びも共に味わってきた選手ですので、感激もひとしおです。
 
彼女の才能はその長いトルクアームから出されるパワーである事は間違いないですが、ここまでの除脂肪体重・筋パワーを獲得するには多くの時間を掛けました。
 
むしろ彼女の才能はその地道な努力を8年もの間、ずっとストイックに継続できた事なのではないでしょうか!
 
ボートに対する想いの強さが彼女の才能そのものの様な気がします。
 
この8年は彼女にとって大きな財産となると思います。
 
なぜなら、8年かけて築き上げたものは彼女の体にしっかりと定着しているからです。
 
短期間で獲得できたものは、失うのも早いからです。
 
同じ到達点であっても短期で獲得できたものより、時間を掛けて獲得したもの方が価値が高い事は、おそらく本人が一番よく感じているのではないでしょうか!
 
苦労したからこそ、その価値は高いのです。
 
国際大会でのメダルは一つの区切りですね。
 
もちろん、ここから先が我々が求めているものなのですが(#^.^#)
 
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         おめでとう!
 
 
 
 

久々に近況報告!

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マッスルアートクラブです。
久々の投稿(2年半?・・・)になります。
皆さんお元気でしたでしょうか?
パソコンの不調を機にブログを書く習慣がすっかり途絶えてしまい。
今日まで至ってしまいました。
トレーニングもそうですが、一旦習慣が途切れると、復帰するのになかなか気持ちが奮い立たないものです・・・
しかしながら、ブログを書く習慣が途切れただけで、相変わらずMACは元気ですのでご心配なく、ほらこの通り!
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こんな感じで毛根以外は(;^_^今日も元気に頑張ってます。

さて、冬場のオフシーズンに入り、トレーニング指導の方もせわしくなっています。

最近の主な活動状況です。
12月18日 中部学生ボート連盟トレーニング講習会in金沢大学
  金沢大学ボート部、岐阜大学ボート部合同で実施しました。
北陸での開催は初めてで、とても楽しみでした。
両大学ともボートに対する意識はかなり高く、金沢市内の観光はほとんどした事がないと語る県外出身学生もいてボート一色の学生生活を送っているようでした。
ちょっと勿体ないな~と思う反面、これはこれでとても好感が持てます。
そういえばmacも学生時代は似た様なものでしたが・・・あとであの時、もっといろいろ見ておけばと後悔するんですが(笑)

ところで金沢大学といえば、macの好きな作家井上靖の出身大学で、あの名作「北の海」の舞台である旧制第四高等学校の前身であります。

この北の海ですが、いまだに柔道家の間でバイブル的小説になっているらしいです。
内容は以前、このブログの中で書いた高専柔道のお話です。

学生たちにこの事を聞いてみると意外にも北の海どころか井上靖が四校に在籍していた事も知らなかったようです。
時の流れでしょうか・・・

さて、ストレングス指導の方ですが、学生達の講義に対する眼差しの熱い事、熱い事!

こちらも乗りに乗って3時間の予定の講義は終わってみれば3時間40分にまで延長!
帰りのしらさぎ14号にはなんとか間に合いましたが!

講義前に学生達に話した言葉
「今現在、ストレングスに対するモチベーションが高い人も低い人もいると思いますが、今日の講習会が終わった後は全員がストレングス大好きに人間になっている事をお約束します」

その通りになってくれたでしょうか?(;^_^A
またモチベーションが落ちてきたら、是非ともまた呼んで下さいね!
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そして翌週の12月24日クリスマスイブはいつもの庄内川で名古屋大学、名工大、南山大学、愛教大へストレングス指導でした。

こちらは春に指導した新人達に実際にトレーニングして貰い細かい点のフォームチェックを行いました。

年が明け、1月22日は愛知県ボート連盟主催の高校生向けストレングス講習会!

愛知県の高校ボート部の生徒全員に集まって頂きました。
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この年頃の攻略はなかなか座学では難しいので、実技中心に、これまた2時間の予定の所、終わってみたら2時間半・・・

中々短い時間で沢山の人間に伝えていくのは難しいです。
昨年もそうでしたが、高校生からの質問に回答するコーナーでは高校生の質問が大学生達とは違って素朴で面白い!
例えば「プロテインを美味しく飲む方法を教えてくださいとか」(笑)
次回も楽しみしてますね!

こうやってより多くの人にストレングストレーニングの有効性を説いていけるのは本当に有難い機会です。

これからもこういった活動をどんどん展開できたら良いな~と感じた次第です。

以上、2年半ぶりの投稿でした。

今後は以前の様に頻繁に更新できないかもしれませんが、できる範囲で無理なく更新していきたいと思います。

宜しくお願いします。


20周年に向けてお色直し!

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岡崎市のトレーニングジム マッスルアートクラブです。

マッスルアートクラブもいつの間にやら、本年で20周年を迎えます。

そんなわけで、外壁をお色直する事にしました。

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この建屋も実は築40年経ち、いまだ一回も塗り直していなかったので、これ以上の放置はさすがにマズイと思い立ち、有り金叩いてみました(・・;)

塗装は足場の代金が馬鹿にならなくて、結構掛かるんですよね!
相撲関係の知人に頼んで、なんとかお値打ちに仕上げて貰いました。

問題の色について、候補はネイビー、黒など渋めの色を考えましたが、建物が鉄筋なんで、この系統の色を乗せると冷たい感じで、ただでさえイカツイイメージのジムが余計に敷居が高くなっては困るので、試行錯誤の上、結局、明るめの色にしてみました。

ベージュにうっすらとピンクが入った様な感じの色です。
新入会員や女性会員が少しでも取っつきやすくする為にも、これくらいの色がいいのではと(^^)
なんせ、建物の中には2トンを超える鉄の塊が鎮座ましてるわけなので(・・;)
少しでも明るいイメージにしようというMACの想いが滲んでいます。

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これから、余裕があれば20年使って、かなり傷んできたフロアーについても検討中です。

女性会員のモチベーションが高い!

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ここ1年は男性会員ばかりのマッスルアートクラブでしたが、年が変わって2名の女性会員が入会!

監獄の様な(^◇^;)ジムの雰囲気が少し明るくなったような気がします。

二人ともトライアスラーです。
世界選手権出場経験もある選手が1名とスポーツ栄養学の研究者が1名!

二人ともかなりモチベーションが高いです。

実はこの二人、Macがストレングスを担当しているデンソーボート部の選手達がフィットネス強化の為に参加しているトライアスロンスクールのトレーニングで彼女らに刺激を受けたようなのです。

ストレングストレーニングを経験していない女性から見ればデンソーボート部の選手達の筋肉や並外れた筋力は相当刺激が強かったみたいで、ストレングストレーニングの必要性を痛感したという事でした。

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ひと昔前なら、女性が筋肉をつける事に抵抗を持つのが一般的でした。
それは一般女性だけでなくアスリートでさえ、競技能力が上がると分かっていても、筋肉隆々、ゴリゴリマッチョという言葉と見た目に抵抗を示す選手もいました。

NSCAの記事でも以前アメリカの女性アスリートの筋肉に対する偏見をどう取り除き理解を得るかについての記事があったくらいです。
アメリカでさえこんな具合ですから、日本ならなおさらだと思います。

そういった世の女性達の筋肉に対する評価がここ10年でかなり変わってきた様に感じます。

マドンナとかアンジェリーナジョリーとかのカッコ良い女性達の台頭が世の女性達の筋肉への評価を変える一因になっているのでしょうか?

Macにとっては、そういった世の流れは指導現場においてとても追風になります。

こういう女性会員は大歓迎です。

美しさというよりもカッコ良さを求める女性をマッスルアートクラブはお待ちしてます!

ドラゴンフラッグができる女子いませんか?

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ドラゴンフラッグといえば知る人ぞ知る究極の腹筋エクササイズですが、MACも今年で56歳・・・いつまでこんな事ができるかどうか分からないので記念に動画にしておきました。

本日のデンソーボート部のトレーニング指導の中でその動画を見たS選手から、「私も出来るようになりたい!」といわれました。

ただMACは未だかつて女子でドラゴンフラッグ
ができる人を見たことがありません。。。
試しにYouTubeで検索してみましたが、見つかりませんでした。

女子でできたら凄いですよね!
がんばれ!デンソーボート部S選手!

もし、女子でできる人を知っている方は是非一報ください(笑)



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